個人によるグローバリゼーション

最近話題のビジネス書、

「フラット化する世界」(上・下)
(トーマスフリードマン著、日本経済新聞社)
>上巻
>下巻

はお読みになりましたか。

この本は昨年、欧米のエグゼクティブたちに最も読まれた本の
ひとつだそうです。

私も早速買いましたが、まだ積読状態です・・・(⌒o⌒;


しかし、この本のキモは、私が先日参加した夕学五十講の講演の中で、
一橋大学教授の一條和生先生が解説してくれましたので
ご紹介したいと思います。


この本では、「グローバリゼーション」を
次の3つの段階でとらえているそうです。

・国によるグローバリゼーション
・企業によるグローバリゼーション
・個人によるグローバリゼーション


国によるグローバリゼーションは、
コロンブスの新大陸(米国)発見の年、
つまり1492年から1800年くらいまでの時代。

スペイン、オランダ、ポルトガルといった国々が
世界に乗り出し、植民地化を進めた。まさに、
国による世界進出ですね。


企業によるグローバリゼーションは、
1800年~2000年までの時代。

イギリスの産業革命による工業化以来、
資本主義下の企業が台頭。

新市場、あるいは生産拠点を求めて世界に乗り出した
企業による世界進出です。


そして、個人によるグローバリゼーションは、
2000年に始まっています。

2000年は、「Google」が表舞台に登場し、
インターネットが社会やビジネスのあり方を
根本的に変えてしまう可能性を予感させた年です。


Googleのリスティング広告、また各種アフィリエイト広告
の仕組みは、貧困に苦しむ発展途上国の一個人が
世界を相手に稼ぐことのできる機会を提供しています。
(アフィリエイトで彼らが手にする、わずか数セント、数ドル
のお金が、彼らの国ではどれだけの価値を持つか、容易に想像
できますよね)


また、米国人の所得税の申請書作成業務は、
相対的にコストの安いインドに流れています。

ITシステム開発に関わるエンジニアたちの仕事も同様に、
インド在住のエンジニアが奪いつつある。

モノの生産拠点としては、低コストの膨大な労働力を抱える
中国がダントツ。


インターネットの浸透によって、時空を超えて業務プロセス
(研究開発→生産→販売・マーケティング→物流と流れる
 バリューチェーン)が成立するようになったわけです。


ただ、日本では、この大きなパラダイムチェンジの脅威を
十分に実感していないようです。

言語や文化の壁が、「有効」に機能しているのでしょう。

私が独立前、プロジェクトマネージャーとして働いていた
システム開発のベンチャー企業では、ロシアに開発拠点を
置いていました。

確かに、英語ベースのソフトウェアについては、
ロシア人の優秀なエンジニアによって低コストで開発が
できました。

しかし、そのソフトの販売先は日本です。

日本語化(ローカリゼーション)のためのコストが別途
必要となり、結果的にロシアの開発拠点の高生産性が
あまり活かせていませんでした。


しかし、遅かれ早かれ、日本もまた、
「個人によるグローバリゼーション」の波に
丸ごと飲み込まれてしまうのは間違いありません。


このような状況で、欧米や日本の企業、あるいは個人は
どこに競争力の源泉を求めるべきなのでしょうか?

これについては明日に回します。(^-^)

投稿者 松尾 順 : 2006年07月20日 09:52

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