「信じたい心」と「懐疑の精神」

これまで、私たちは

「人を信じること」

が「生き残り」に有利であったことから、
基本的に

「人を信じたい」

という強い欲求を生まれながらに
持っています。

しかし、ITの進展などによって、
極めて多くの数の人々とつながるように
なった今、適度な「懐疑の精神」を
意識的に養うことが、生き残りにますます
必要になっています。

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人類の歴史は400-500万年程度と言われていますが、
農耕が始まり、食料が安定して確保できるように
なったのは1万年前ほどから。

この食料の安定確保によって一定の地域での定住が
可能となり、ひとつの社会(集団)の人口は、
加速度的に増加していきます。

しかし農耕開始以前に400-500万年も続いた

「狩猟採集生活」

は、要するに「その日暮らし」です。

常に食料(獲物)を求めて移動せざるを得ない
状況でした。

したがって、ひとつの社会(集団)として
維持できる構成員数は、100人程度だったと
考えられています。

100人程度と言えば、オフィスが一箇所の
会社であれば、全員の顔と名前、そして
ある程度はそれぞれの性格などもわかる
人数ですね。

私たちの祖先は、
そんな100名ほどの小集団を形成し、
お互いに助け合って厳しい自然環境
を生き延びてきたのです。


さて、こうした小集団に属する個人において
まず必要とされることは、

「人を信じること」

でした。

なぜなら、人が教えてくれる、
あるいは言い伝えや噂などとして聞く、

・このきのこは食べてはいけない(食べて死んだ人がいるから)
・あの谷には行ってはいけない(行方不明になる者が多いから)
・けがをしたらこの草を治療に使うとよい(効果があったから)

などといった話は、基本的に疑いを持たず
言われた通り信じることで難を逃れることができ、
生き残りに有利であったからです。


もちろん、「オオカミ少年」のように
嘘をついたり、騙す者もいました。

しかし、そうした人間は、

「信用できないやつ」

として誰も相手にしてくれなくなるため、
じきに淘汰されてしまう。

ですから、ともあれ人の言葉(および行動)を
信じていれば、おおむね間違いないということを
私たちは、数百年万年の間に学習してきたわけです。


ちなみに、「信じる」ということは、
言い換えると、人の言葉や行動を

「真似する」

ということでもありますね。

したがって、

『影響力の武器』

において、「説得テクニック」のひとつ
として挙げられている

「社会的証明の原理」
(人の行動を参照して意思決定すること)

の根底には、

「人を信じたい」

という欲求があるといえるでしょう。


ただ、農耕が始まった1万年前以降、
私たちの社会の構成員数は、

数千、数万、数十万、数百万、数千万

と増加し続けてきた。

これだけの数となると、
もはや、お互いの顔も名前も性格も
わからない人がほとんどです。

しかも、ITネットワーク社会の今、
そうした知らない人々の言動や噂が
情報として日々、山ほど入ってきます。

その中には、当然ながら相手を騙す、
陥れることを目的とした情報も多数含まれている
ことは言うまでもありません。
(しかも、匿名性が高いため、万が一ばれても
 当人が罰せられる可能性は低く、なかなか
 淘汰されない)


ですから、人の言葉や噂などをむやみに
信じることは、逆に自分の状況を危うくして
しまう可能性が高くなっていると言えるでしょう。

ところが、私たちは数百万年かけて学習し、
本能と言えるほど体に染み付いてしまった

「人を信じること」

を止めることはなかなかできないようです。

結果的に、身近なところで言えば、

「振り込め詐欺」

のような事件がいつまでたっても
沈静化することがない。

また、昨今の中国での反日デモ等についても、
煽りたがるマスコミ報道を安易に信じてしまい、
感情的になっている人も多い。


お互いを信じあえることは、
実に幸せなことではあります。

しかし、同時に、

「本当に信じていいのだろうか」
「何か裏はないのだろうか」
「他の視点から見たらどうだろうか」

などと、頭の片隅でちょっとだけ
疑ってみることが求められています。

すなわち、健全な


「懐疑の精神」

を意識的に身につけるべきなのです。


ただ、疑いの心を持つことは、
私たちの社会においては基本的に
タブーです。

したがって、積極的に疑う習慣をつける
ことに対して抵抗感があります。

欧米では、

「クリティカル・シンキング」

と呼ばれる思考法が重視されているのは
ご存知かと思います。

これは、情報を丸呑みするのではなく、

・客観的
・批判的(「否定的」ではない点注意!)
・論理的

に情報を解釈することによって、

「(健全な)懐疑の精神」

を養うトレーニングがある程度できています。

しかし、日本ではまだまだの状況ですね。


世界中の人々がインターネットで結ばれ、
多種多様な人々の玉石混交の情報であふれる今、

「懐疑の精神」

を養う必要性は、
ますます高まっているのではないでしょうか?


『影響力の武器-なぜ、人は動かされるのか』
(ロバート・B・チャルディーニ著、社会行動研究会、誠信書房)

『ひとはなぜだまされるのか』
(石川幹人著、講談社)

投稿者 松尾 順 : 2012年09月20日 12:31

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