検索社会で漂流する個人

PCの前に座れば、クリックひとつで、
さまざまな分野の膨大な情報が手に入るインターネット時代。

個人はネットを通じて情報を入手・活用することで、
企業と対等か、時に上回るパワーを持つようになっていますね。


しかし、私たちは、この拡大しつづける情報の海の中で、
本当にうまく泳げているのでしょうか。

ひょっとして、

「ただ流されているだけかも・・・」

という感覚がありませんか。


編集工学研究所所長、松岡正剛氏は、

“世界的な事情として「検索社会」というものが、
 非常に強く個人に食い込んでいるのではないかと思います。
 世界中を、グーグルやアマゾン検索というシステムが
 覆っているわけです。”

と言い、検索社会では、

“一人ひとりが情報と深く関わらなくなっている”

ということを指摘しています。
(人間会議、夏号 2007)


松岡氏は、ネットを通じて情報を入手する手続きを

「親指一発ケータイ主義」

と呼んでいますが、情報の入手は実に簡単になったけれど、
検索社会には「落とし穴」があることを見抜いています。


“親指ひとつで、どんどん情報を出しているようでいて、
 実はそのたびに、前の情報を消し去っているんです。

 だから、自分は実にたくさんの情報に対応していると
 いう錯覚はつくり出せるのだけれど、対応しているのは、
 一回ずつ、他とまったく無縁のものであって、情報の
 「かけら」しか見ていないのです。”


このため、前述したように

「一人ひとりが情報と深く関わらなくなっている」

という結果をもたらしているというわけです。


問題は、個人や基地や港や船などの「エンジン力」をつけないと
膨大な情報のなかは泳いでいけないはずのネット時代において、
そうした力をそぎ落とすことになっている点です。

これは、情報の良し悪しを判断する拠り所や基本的な価値観、
「自分は何者か」といったアイデンティティを
はっきりさせないまま、入手しやすい限られた情報を
盲目的に受け入れてしまっているという意味だと
私は解釈しています。


“情報が膨大だといっても実際は、ページランクの上位100
 とかしかみていないわけですから、アクセス数やランキングに
 よって、個人は泳がされているに過ぎない。”

という松岡氏の指摘には激しく同意します。


そして、アメリカを中心とする一極的な政治経済体制に
呑み込まれている現代日本と、上記の「検索社会」が
組み合わさることによって、

“スタート時点から、個人は孤立したまま、
 「深さ」を持ちえずに漂流せざるを得ない”

という状況が生まれていると松岡氏は考えています。


さて、この「個人が漂流する」ということについては
2つの側面があると松岡氏は言っています。

ひとつは、個人が孤立していて、
コミュニティの中心が欠如しているということ。

もうひとつは、個人単位で見たときに、
自己が自己のセンタリングが効かなくなっているということ。
(=志向の能力低下がどんどん起きているという意味)


検索社会は、上記のような

「漂流する個人」

を多数生み出す結果をもたらしているのは確かでしょう。


これは、別の見方をすれば、
流通させる情報をうまく操作することで、
他の人々を動かすことがますます簡単になっていることも
意味しているんじゃないでしょうか?

「口コミ」の影響力が、ネット社会、検索社会において
飛躍的に高まっていることは、そのひとつの表れだと思います。

投稿者 松尾 順 : 2007年07月20日 07:17

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コメント

「漂流」とは、誠に言い得て妙ですね。
この現象は、実は私も以前から気になっていて、2年前に以下のようなコラムを書きました。この場を借りて紹介させてください。
(以前、松尾さんが「新聞を読んでいる人が少ないと嘆いているマーケターがいる」と取り上げてくれた回です)
<前略>
■インターネットの検索に依存しすぎる危険性
 最近気になっていることは、前述のような"情報をストックする"という習慣が特に若年層から少なくなっている気がすることだ。インターネットの普及によって、必要な時に"検索"をすれば、自らの頭の中にあるナレッジやリファレンス情報を思い出すより遙かに早く必要な情報にたどり着ける。検索エンジンの性能向上によって年々高速化し、検索結果は1秒もかからず候補が羅列される。一方、頭の中のナレッジやリファレンス情報は、元からインプットしておく必要があり、それを思い出すことも頭が固くなってきている現れか、年々低速化傾向にある。どちらが楽かはいうまでもない。
 しかし、検索エンジンによって表示された結果は、果たして自分にとって価値のある情報なのか。必要としている情報との適合性はどの程度あるのか。それらは羅列されてしまっている以上、一つ一つ開いて確かめていくしかない。しかし、その判断の基準軸が自らになければ、誤った情報や不適合な情報を取得してしまうことになる。その結果、質の低い情報を使ったアウトプットは、同じく質の低いものになってしまう。
 インターネットから情報を得ようとして、結果的に質の低い情報を手にしてしまうリスクが発生する。原因は"情報をストックする"という習慣が普段からついていないからだ。なぜ、ストックする習慣がなくなってきているのか。それは、世の中に"フリーな情報"が氾濫し、それらはフリーであるが故に、読み捨て、つまりストックされないからだろう。
 最近新聞を購読していない若い社会人が増えている。若いといっても30才前後の中堅クラスまでだ。新聞代を払わずに、会社に来てからニュースサイトをブラウジングして済ましてしまうのだ。それも何か自分の仕事に関連があるか、興味を引かれたもの以外はヘッドラインをクリックせずにトップページを斜め読みするだけのレベルだ。だから、「今日の日経に書いてあったけど・・・・・・」と話しかけても「ああ、何かありましたねぇ」レベルで終わってしまい、話が深まらない。記事本文を読んでおらず、情報が頭の中にストックされていないからだ。
<後略>

昨日、日経ビズプラスの連載原稿を入稿しましたが、いみじくもちょうど2年前に書いた上記原稿を振り返った内容でした。
この2年間でさらに加速していることに恐怖を感じてなりません。

投稿者 金森努 : 2007年07月20日 13:24

金森さん、まいど!

金森さんの指摘も鋭いところを突いていますね。

情報をネットで流し読みして「理解したつもり」に
なっているのは、そうとうやばい傾向だと思います。

投稿者 松尾順 : 2007年07月22日 12:31

コメントもあわせて耳が痛い記事です・・・。

言われてみると、自分は、漂流した挙句に
無人島についてしまったような状態かもしれません。

興味のある内容だけをストックしていった結果、情報が偏ってしまって、他人と共有できる領域がすごく少なくなってしまっている。勤務している会社の中でも、仕事の時はともかくプライベートではやや孤立してしまっているような気がします。

もっとも、この無人島は、助けを求めても誰も助けてもらえない代わりに、自分の意思で脱出も可能なので、少しストックの幅を広げて行きたいと思います。(テレビはあまり見るつもりはありませんが・・・)

投稿者 はぐれヲタ : 2007年07月23日 18:51

情報社会で生き残るためには、情報との付き合い方はかなり意識的する必要があるのは間違いないですね。

情報化は、人の生活を楽にしているのか、そうじゃないのか、たまにわからなくなります。(苦笑)

投稿者 松尾順 : 2007年07月23日 19:39

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